目に見る事は欲望のさまよい歩くにまさる。これもまた空であって、風を捕えるようなものである。
わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕えるようである。
もしわたしの歩みが、道をはなれ、 わたしの心がわたしの目にしたがって歩み、 わたしの手に汚れがついていたなら、
若い者よ、あなたの若い時に楽しめ。あなたの若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたの心の道に歩み、あなたの目の見るところに歩め。ただし、そのすべての事のために、神はあなたをさばかれることを知れ。
すなわち神は富と、財産と、誉とを人に与えて、その心に慕うものを、一つも欠けることのないようにされる。しかし神は、その人にこれを持つことを許されないで、他人がこれを持つようになる。これは空である。悪しき病である。
見よ、わたしが見たところの善かつ美なる事は、神から賜わった短い一生の間、食い、飲み、かつ日の下で労するすべての労苦によって、楽しみを得る事である。これがその分だからである。
また、わたしはすべての労苦と、すべての巧みなわざを見たが、これは人が互にねたみあってなすものである。これもまた空であって、風を捕えるようである。
そこで、わたしはわが手のなしたすべての事、およびそれをなすに要した労苦を顧みたとき、見よ、皆、空であって、風を捕えるようなものであった。日の下には益となるものはないのである。
伝道者は言う、 空の空、空の空、いっさいは空である。
「あなたは久しい以前に自分のくびきを折り、 自分のなわめを断ち切って、 『わたしは仕えることをしない』と言った。 そして、すべての高い丘の上と、 すべての青木の下で、 遊女のように身をかがめた。
わたしは心をつくして知恵を知り、また狂気と愚痴とを知ろうとしたが、これもまた風を捕えるようなものであると悟った。